前庭水管拡大症とめまい
snowの記憶の中にある「めまい」は3歳くらいだと思う。
起きたら、家がぐるぐる回る。
床と天井が反対になるほどに。
母にそれを説明しようとしても、そこまで言葉を持たない。
ぐるぐる回る。気持ち悪い。ただ泣くだけしかできない。
母も大変だっただろうと思う。
急に歩くことができなくなって、ただただ泣くだけだもの。
大学病院の耳鼻科で「メニエール病」と診断されて、そのめまいとはずっと付き合っていくことになる。疲れたとき、体を冷やしたとき、大きな音を立て続けに聞いたとき、はしゃぎすぎたとき、なにかストレスを感じたとき、だいたい翌朝に起きたらめまいの発作がはじまっているのである。
で、だいたい3~4日くらいは続くことになる。
もちろん1日で治ることもある。
だいたい、天井と床がぐるぐる回る「回転性めまい」である。
このめまいのやっかいなところが3点。
・寝たきり状態になる。頭さえ動かさなければめまいは起きないので・・。
・治療が激痛。これについてはきっと触れることはないと思う。
・聴力が落ちる。
この中で聴力が落ちるのが一番やっかいだった。
落ちるときもあるし、落ちて戻るときもある。
でも、ほとんどはめまいを繰り返して、緩やかに聴力は低下していくことになる。
なので、めまいとの戦いというより、聴力の低下との戦いだったように思う。
めまいを起こすと、大学病院に行くことになる。
今はそういう治療はしていないと思う。でも、当時の主治医の治療は激痛を伴うも
のだった。なので、この病院が嫌いで嫌いで仕方がなかった。
でも、聴力の低下への恐怖の方が、激痛に勝っていたと思う。
治療前に聴力検査をする。やっぱり下がっている。
聞こえづらい実感もある。
でも、治療後はめまいも治まるし、聴力も回復しているのである。
小学校5年で、ガクンと聴力が落ちるときまでは、ずっとめまいと激痛な治療の繰
り返しだった。小学校4年までは、3か月に1回か半年に1回の頻度だったように記
憶している。小学校4~5年で、しょっちゅうめまいに襲われることになる。
多分、成長期で体力が追いつかなかったのかもしれない。
このときは、だいたい毎月のようにめまいの発作が起きていた。
激痛を伴う治療もそのたびに。
で、だんだん・・その治療も効かなくなってくる。
聴力もだんだん下がってくる。
で、ある日、ちょっと頭を打ったのをきっかけに、急に音が聴こえなくなった。
めまいは全く起こらなかった。
この時は不思議と、「ああ、これで戦いは終わったんだな」と悟った。
聴力が落ちて泣くこともなかった、ショックだったけど、意外と平静だった。
もう疲れていたのかもしれない。
どんどん落ちていく聴力のグラフ。
激痛を伴う治療。
繰り返されるめまい。
めまいを怖がるあまりに、いろいろなことに消極的になる自分。
この時は、心底ホッとしたように思う。
聴力を失う代わりに、
もうめまいにおびえることもない。
聴力が落ちたらどうしようと悩むこともない。
激痛を伴った治療もない。
この日を境に、聞こえることはなくなった。
そしてめまいの発作もピタッと止まった。
これから大変なことになってしまう。
聞こえないから、全然会話ができない。
学校の授業もどうしよう。
後ろから車が来ても気づかない。
あるのは沈黙の世界だけ。
今までと生活も変わってしまう。
どうしよう。
どしたらいいのか。
でも、snowはお気楽なのんびりしたパッパッピーな性格だったので
「まあ、なんとかなるんじゃね?」
っと、何も考えなかったのである。
すっとメニエール病だと思っていためまい。
実はそうではなくて、前庭水管拡大症によるものだったと知ったのは、聴力を失っ
た小学校5年から約27年後。
人工内耳手術を受ける半年前の事になる。
「どうしてめまいを繰り返し起こすんですか?」
「どうして耳が悪くなるんですか?」
・・・・っと母が主治医に尋ねたとき、
「原因不明です。きっと死亡後に解剖してみないとわからないでしょう。」という
答えが返ってきたた27年前。
あれから27年後、解剖されることもなくMRIによって、
めまいの原因も
聴覚に障害を持って生まれることになった原因も
わかっちゃうなんて、すごいよなあ・・・。医学の進歩って。
難聴の原因もめまいの根治治療方法もわからないまま、ずっと治療にあたってくれ
たK医師にも感謝と敬意を。
小学校5年まで、わずかであっても聴こえていたからこそ、人工内耳につながって
いく事ができたと思う。